グローリーサンデーの競馬日記

競馬の予想とか出来事とかつぶやきます

JBCレディスクラシック2023 優勝馬 アイコンテーラーについて

 
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<https://twitter.com/tck_keiba/status/1720201694397833649?t=ANb9-jFH7oEODYv8baCP3A&s=19より>

 2023年11月3日に大井競馬場(TCK)で行われた

JBC[ジャパンブリーティングファームズカップ]。

 その中で牝馬限定のダート中距離競争Jpn1レディスクラシックに、1月14日G3愛知杯[中京芝2000m]で2着に入線したアイコンテーラー号が出走し、武豊騎手の負傷による騎手変更で騎乗した松山弘平騎手鞍上の元、1番人気で優勝し、初重賞制覇且つ初G1級(Jpn1)制覇を達成した。また、河内洋調教師自身も初G1制覇となった。8月26日の新潟リステッドBSN賞[ダート1800m]からダート転向初戦を勝利し、続く9月30日G3シリウスステークス[阪神 ダート2000m]はしくも2着と健闘し、本戦に挑戦した。ダート転向3戦でG1制覇となる。


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<https://www.keiba.go.jp/jbc2023/より>

 私はこのアイコンテーラー号は新潟でのダート転向後初勝利を見て、大井2000mでは通用する価値はあると思い、本命にしていた。

 では、何故そう思うのか?私なりに仮説を立てた。

 

 血統 

ドゥラメンテ 母ボイルトウショウ

 正直…最近血統の勉強をし始めたのでにわか程度で申し訳ないが先ずはドゥラメンテだろう。現役時代は皐月賞日本ダービーとクラシック2冠を達成し、菊花賞は骨折のため無念の回避をしたが、産駒のタイトルホルダー・ドゥレッツァが制覇しているため幻の三冠馬と言われている。そんなドゥラメンテだが、ダートでも産駒成績が良い。

バーデンヴァイラー[2022年Jpn3マーキュリーカップ(盛岡)・2023年Jpn3佐賀記念(佐賀)]

ヴァレーデラルナ [2022年JBCレディスクラシック(盛岡)]

ドゥラエレーデ [2023年UAEダービー(ドバイ 2着)]

と芝・ダート問わない様である。

そして母のボイルトウショウだが、母父ケイトホーム 母母ミッドナイトオアシスと米国血統である。大井は砂を国内産からオーストラリア産に変え、さらに厚さも8㎝から10㎝増した。前回よりも馬場がタフになったため、母方の血も有利に働いたと推測される。

 

実績

新潟巧者

 本馬は、2020年11月1日にデビューし3戦したが、勝ちきれずに3歳を迎えた。2021年の初戦は2021年5月9日3歳未勝利[新潟芝2000m]戦で見事勝利すると、同月22日の同競馬場[新潟 芝1800m]早苗賞(1勝クラス)も勝利。その後2戦は重賞挑戦するも、結果が出せず。10月9日、再び新潟に戻り村上特別(芝1800m 2勝クラス)、30日魚沼ステークス(芝2000m 3勝クラス)を連戦連勝し、オープン馬となった。

 その後は割愛するが、上記にあるダート転向初戦のBSN賞も新潟である。大井競馬場(外)は、右回りだが直線が長く地方最長の386mとなっている。基本地方競馬場の構造は、小回りで直線が短め、先行馬が有利だ。しかし大井競馬場は京都競馬(外)より約20m短い(403m)が、地方で唯一のG1があるだけあって、JRAの競馬場に引けを取らないことを意味する。本馬は先行策で勝ち切っているのに加え、日本最長の新潟外回りの直線(659m)も勝利経験している。あとは右回り適正だが、次走のシリウスステークスで負けはしたものの、3着馬ヴァンヤールに3馬身つけての2着なので右回りダートの苦手意識は無いと捉えられる。

 ここで大方の目星を私は付けた。陣営もおそらく、地方競馬場対策として経験させたかったのではないかと思う。

 

疑似馬

前年 東京大賞典勝馬 ウシュバテソーロの存在

 2022年12月29日 大井に新たなG1馬が生まれた。同年の同舞台・同距離である帝王賞勝馬メイショウハリオとJDD優勝馬のノットゥルノを抑え、先頭を駆け抜けたのは、ダート転向5戦目且つ芝含めて重賞初挑戦で初勝利、しかもJpn1では無くG1勝利を飾った、ウシュバテソーロである。


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<http://nankandamasii.jugem.jp/?eid=17983#gsc.tab=0より>

 ウシュバテソーロは3勝までは芝を走っていたが、ダート初戦の横浜ステークス[東京 2100m]で勝利し、オープン入りを果たした。それが今ではドバイワールドカップを制し、ダート界での日本代表馬となった。このウシュバテソーロとアイコンテーラーの疑似点をまとめる。

  • 芝の中距離を経験・勝利し、クラスが上がっていったところでダート転向
  • 左回り且つ直線が長いコースでキャリアを積み上げる。
  • 父が現役時代クラシック勝利且つ芝・ダート共に優秀種牡馬
  • ダート転向初戦をいきなり勝利

と思い当たる筋を書き込んだ。このような背景もあり、第2のウシュバテソーロになるなら、アイコンテーラーだろうと考察を重ねて、本命に立てた。

 

+‪α‬ 騎手

乗り替わり故の好材料

 元々は武豊騎手が鞍上予定だったが、10月29日の脱鞍の際のアクシデントで負傷。松山弘平騎手となった。これは予想外であったが、逆に勝てた要因の一つとしてハマったと考えた。何故なら、その後同じ距離を走るテーオーケインズと同じ脚質だから。急遽の騎手変更というのもあるが、そもそも武豊騎手が乗る時点で乗り替わりだった。どちらにせよテン乗りなわけだから、変に気負いせず馬に任せて乗ることが出来る。更にはその2R後に乗るテーオーケインズに乗る前の試走として試せる機会でもあったため思わぬ相乗効果が成果に結びついたのではと思われる。

 

 以上が私なりの推測となる。いつか実を結ぶだろうと思ったら、今回だったとは…これには私自身も驚いている。

 今後はどういう立ち回りになるか分からないが課題として、マイルの対応も必要ではないかと考えられる。

G1フェブラリーステークス[東京]や

Jpn1かしわ記念[船橋]

牝馬限定に絞ると

Jpn3マリーンカップ[船橋]

Jpn3スパーキングレディーカップ[川崎]

など1600mのレースがある。

 

 いずれにせよ、アイコンテーラーという馬は器用さがあり、地方競馬特有の小回りもこなせると思う。私は今後もこの馬の素質を信じ、素晴らしい競走馬生を歩んで行くことを祈り、これからも応援していきたい。

HNの由来 サイレンススズカを語る ⑤栄光の日曜日

 前回はこちら↓

 HNの由来 サイレンススズカを語る ④沈黙の日曜日 - グローリーサンデーの競馬日記

 

 ⚠今回はウマ娘アプリゲームについて詳しく語っています。ネタバレ要素がありますのでご注意ください。

 

 さて、今までサイレンススズカを語ってきたが、どこにHNの由来があったのか?実は史実ではなく、IFのサイレンススズカが元である。それこそ、ウマ娘でのサイレンススズカである。ウマ娘でもアニメでは故障シーンがあるがIFとして怪我から復帰し、アメリカへ渡航しているが、アニメでは無い。答えはゲームアプリだ。

 

 ウマ娘アプリゲームはウマ娘の担当トレーナーとなり、育成ストーリーに沿って(キャラクターによって異なるが)3年シーズンを掛けて育成するゲームだ。詳しい話はセンシティブな問題もあるため控える。ストーリーによっては史実要素が多めだが、IF要素もある。例えば、某○外競走馬は走れなかったレースをウマ娘では走れたり、クラッシックで終わったあの馬が…という要素だ。

 

 ではサイレンススズカウマ娘アプリでの育成ストーリーはどうなのか。

 ジュニア6月メイクデビュー▶クラッシック3月弥生賞▶クラッシック9月神戸新聞杯▶シニア3月金鯱賞▶シニア6月宝塚記念▶シニア10月(前)毎日王冠▶シニア10月(後)天皇賞・秋

が基本路線となっている。ちなみにゲームのシステム上、1ヵ月は前半と後半に分けており、最後の毎日王冠天皇賞・秋は連闘扱いとなる。基本路線は必ず出走しなければならないが、それ以外のレースは基本路線と被ってなければ出走は可能である。

 

 サイレンススズカ!

サイレンススズカに故障発生です!
何ということだ!4コーナーを迎えることなく

レースを終えた武豊!

 

沈黙の日曜日!!

 

 現実でのサイレンススズカ天皇賞・秋で無念の最期を迎える。それはまさに沈黙の日曜日であった。そして奇しくも、父サンデーサイレンスの和訳でもあった。 

 

 そんなサイレンススズカウマ娘ゲームアプリでシニア期の天皇賞・秋を制すると…

 

 栄光の日曜日

の主役となったのはサイレンススズカ!

4コーナーの向こう側から

みごと盾の栄誉を勝ち取りました!


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 私自身、サイレンススズカを育成する度に天皇賞・秋を制した時に感動が溢れる。更にこの実況は沈黙から栄光に変わるだけじゃなく、4コーナーを迎えて通過したことを加えているところが素晴らしい。

 

 そう、このゲームウマ娘でサイレンススズカ天皇賞・秋を制した時に特殊実況として流れる、

栄光の日曜日

グローリー(栄光) +‪ サンデー(日曜日)

が私のハンドルネームの由来である。

 彼(サイレンススズカ)が成し遂げられなかった偉業を彼女(サイレンススズカ)がIFとして叶えてくれた。そして、Cygamesは史実を踏まえた上で妥協せずにストーリーを作り上げてくれたのだ。

 

 長くなりましたがこのような背景があり、私はHNをつけさせていただいてます。サイレンススズカの死後3年後に私は生まれています。ですが、そんな私だからこそサイレンススズカという競走馬に惹かれたのかも知れません。

 余談ですが、昨年(2022年)毎日王冠天皇賞・秋を現地にて生観戦しました。毎日王冠はサリオスが現役最後の勝利になってしまったので、その場に出会えてある意味良かったかなと。

 そしてなんといっても天皇賞・秋。いや、パンサラッサと吉田豊騎手があの逃げをし、1000m通過57.4の時計を出してしまって…そうサイレンススズカもその時計。そして鞍上が同じ豊騎手。不吉な予感がして思わず、「頼むからちょっと抑えてくれ」と言ってしまった程。ですが直線に入っても逃げる逃げる。最後は50m程でイクイノックスに差されてしまいましたが、見応え抜群でした。(馬券はダメだったケド…)

 

 当時を知らなくてもサイレンススズカに惹かれた私が、天皇賞・秋にてパンサラッサのお陰でまだ夢の続きが見れた。それだけでも、私の一生の思い出になりました。

 

 私のHNの由来 〜完〜

HNの由来 サイレンススズカを語る ④沈黙の日曜日

 前回はこちら⬇️

 HNの由来 史実・サイレンススズカ編 ③スーパーG2 - グローリーサンデーの競馬日記

 

11月1日 G1 天皇賞・秋 [東京 2000m]

 サイレンススズカ陣営としてはココが大本命だった。また、ここを通過点にして、海外にも挑戦する路線だったと後に語っていた。レース前は他の各陣営消極的だった。登録馬は12頭とG1では異例の少頭数でのレースとなった。それもそのはず、無敗の快速馬が得意条件、得意コースで走る訳だからだ。しかも1枠1番と逃げには最高の枠でレースに向かうことになった。ファンからは前走の毎日王冠を踏まえた上で、どう逃げて、どう勝つのか、どれくらいの着差でゴールを駆け抜けるのかと予想されていた。陣営のココを目標というコメントを受け入れ、もはや相手を探すレースと思われていた。

 レース当日はやはりサイレンススズカ単勝1.2倍の1強ムード。続いて天皇賞春秋連覇を狙うメジロブライトが6.2倍、有馬記念覇者のシルクジャスティスが8.4と、同じG1馬の2頭のオッズさえもちぎってしまうほどの人気ぶり。4番人気ステイゴールドからは10倍となった。

 レースはスタートを好スタートを決め、早速突き放した。600メートル付近では隊列が出来た後続集団先頭のサイレントハンターから大きな差が出来ていた。その後も武豊サイレンススズカは加速し、1000m通過は57.4を計測した。ファンの歓声も大きくなる。あと半分は、どういう時計を出すか、後続馬とはどれくらい距離をつけてゴール板を駆け抜けるか。そう思わさせた…

 

 大欅を過ぎるとサイレンススズカの走り方がおかしい。そしてスピードが落ちてきた。鞍上の武豊も流石に異変を察し、後続馬を確認し外に避け、レースを辞めた。「4コーナーを迎えることなく、レースを終えた武豊沈黙の日曜日!!」フジテレビの福原直英アナはこの様に実況した。と同時に大歓声の色も変わった。

 サイレンススズカの変わりにレースを引っ張ったのは、サイレントハンター吉田豊。しかし、残り300mで早めに仕掛けて来たオフサイドトラップが先頭。ステイゴールドも追いかけるがそのまま逃げ切った。三冠馬ナリタブライアンとクラッシックは競い合った8歳馬オフサイドトラップ柴田善臣騎手が、天皇賞・秋を制した。2着には宝塚記念でもサイレンススズカに猛追したステイゴールド蛯名正義騎手。3着は前走もサイレンススズカエルコンドルパサーに続いて入線したサンライズフラッグ安田康彦騎手となった。

 1番人気 サイレンススズカは左前足の故障で競走中止となった。

 

 その後、馬運車で運ばれたサイレンススズカは左前脚の手根骨粉砕骨折 予後不良と診断され、安楽死の処置を執られた…異次元の逃亡者と呼ばれたサイレンススズカは、5歳半ばで天へと駆け抜けた。

スナックズンコちゃんねるによれば、ネットが普及してない当時はスズカの無事を祈るファンからJRAに沢山の問い合わせがあり、職員は濁すこと無く伝えたという。翌日の新聞もオフサイドトラップが優勝よりもサイレンススズカ訃報が1面だった。結果的にオフサイドトラップも次走の有馬記念を最後に引退しているため、最後のG1制覇となったためにオフサイドトラップ陣営はショックを受けたという。9月には同期ナリタブライアンも夭逝したため、オフサイドトラップにとっても分岐点となった1998年であった。

 

 鞍上の武豊騎手はサイレンススズカの事に関して、かなりの精神的ダメージを追っていたと多くの関係者が語っている。幼少期からの付き合いがある福永祐一騎手は、「あんなに落ち込んでいる豊さんは初めて見た」と言ってしまうほどに、そして本人も後のインタビューで自覚しているほどに泥酔していた。

 翌週の同じ橋田満厩舎である、後のダービー馬アドマイヤベガ新馬戦があったが、ゴール前の進路選択が他馬を妨害したとみなされ1位入着ながら4位降着となった。この件に関して、発番も1枠1番と嫌な予感もありサイレンススズカのショックが残っていたものと推測されている。

 その後、武豊は自身初制覇であり思い入れのあるダービー馬スペシャルウィークと共に天皇賞・春を制覇している。宝塚記念グラスワンダーに敗れ、京都大賞典でも7着と惨敗していた中で挑んた天皇賞・秋。ゴール前200m辺りで外から末脚を発揮しステイゴールドのクビ差を制した。武豊にとって、天皇賞・秋という舞台において、昨年果たせなかった思いもあってか後のインタビューにて「サイレンススズカが背中を押してくれた」と語っている。後のジャパンカップでは、同期エルコンドルパサー凱旋門賞にて敗れたモンジューが参戦するも、日本馬代表の一頭として勝利し、【日本総大将】として称えられたのはご存知の通りだろう。

 

 最後に、有名な言葉で閉めさせていただく。

 

 「全国の競馬ファンの皆さんどうでしょうか。いつまでも、そしてどこまでも先頭だった1年前のサイレンススズカのゴールが思い出されます。そして今年もまた貴方の、私の夢が走ります。

貴方の夢は スペシャルウィークグラスワンダー

 

私の夢は サイレンススズカ です

 

夢叶わぬとはいえもう一度この舞台で、ダービー馬やグランプリホースと走って欲しかった。」

HNの由来 サイレンススズカを語る ③スーパーG2

 前回まで⬇ 

 HNの意味 サイレンススズカ編 ②宝塚記念 - グローリーサンデーの競馬日記

 

10月11日 G2 毎日王冠 [東京 1800m]

 鞍上が再び武豊騎手に戻り、当初の予定であった天皇賞・秋を目指すこととなった。しかし強力な4歳馬が立ち塞がる。朝日杯3歳ステークス[中山 1600m](現 朝日杯フューチュリティステークス 阪神 1600m)を制し、その後右後脚の第3中手骨を骨折のため休養していたグラスワンダーと、NHKマイルカップ[東京 1600m]を制したエルコンドルパサーだ。しかもどちらも負け無しとなっている。サイレンススズカ古馬になってからは無敗。この後毎日王冠というG2の舞台にも関わらず、無敗馬3頭の直接対決となった。ただ、グラスワンダーエルコンドルパサーはこれまで的場均騎手が主戦騎手だった。的場騎手がどちらに乗るかも注目されていたが、グラスワンダーに騎乗することに決まった。乗り替わりとなったエルコンドルパサーには、蛯名正義騎手が騎乗した。また、斤量は別定のため、グラスワンダーが55kg、エルコンドルパサーが57kg、サイレンススズカは59kgというトップハンデが課されることとなった。
 迎えた当日。東京競馬場には133,461人という大勢のファンが駆けつけた。やはり人気はサイレンススズカが1番人気。続いてグラスワンダーが2番人気、エルコンドルパサーが3番人気と続いた。

 レースは、断然サイレンススズカが好スタートを切り逃げた。グラスワンダーは久々が効いたのか、スタートを出遅れてしまう。大欅辺りでグラスワンダーが早めに仕掛け、それに続き各馬勝負を仕掛けた。向こう正面に入るとサイレンススズカと後続馬の差はそれほど無かった。しかしそこからサイレンススズカの本領が発揮された。3F時計35.1という上がり足で加速。早めに仕掛けたグラスワンダーは残り300辺りで突き放される。エルコンドルパサーも外に寄れる程の猛追を魅せるが、差が縮まらず。「どこまで行っても逃げてやる!!」フジテレビ青島アナの実況が代名詞ともなったこのレースの決着は、サイレンススズカエルコンドルパサーに2馬身を付け快勝。鞍上の蛯名正義騎手はレース後のインタビューにて、「影さえも踏めなかった」と語っていた。3着には安田康彦騎手鞍上のサンライズフラッグ(4番人気)が入線、グラスワンダーは5着と入線した。

 

この激闘はファンからはG1と遜色ないG2のレースを、スーパーG2として名されている。過去の例として、1988年に行われた同舞台である毎日王冠は、イナリワンオグリキャップメジロアルダンの3強対決となり、オグリキャップイナリワンとの叩き合いを制した。1996年に行われた阪神大賞典も紹介する。1994年に三冠馬となるも成績が下降していたナリタブライアンと1995年の菊花賞馬であり、有馬記念ナリタブライアンを下したマヤノトップガンが相まみえたレースだ。最終コーナーからゴールまでの2頭の叩き合いは3着馬に9馬身をつけるほど。結果はナリタブライアン三冠馬としての意地を魅せたのかマヤノトップガンを下した。

 上記の2例は各馬別のレースで相まみえてはいるが、今回の3頭は一生で一度の対戦となった。

 グラスワンダーは後にダービー馬、スペシャルウィーク宝塚記念有馬記念にて激闘を魅せることとなる。

 エルコンドルパサージャパンカップを制し、海外へ挑戦。凱旋門賞2着という成績を残した。国内はこの毎日王冠以外は勝利している。

 サイレンススズカはこの快勝を受け、予定通り天皇賞・秋へ進むことになった…

HNの由来 サイレンススズカを語る ②宝塚記念

 今回は宝塚記念のみ語りまする

 前回はこちらから⬇

 HN(名前)の意味 実馬編 ①クラシック〜金鯱賞 - グローリーサンデーの競馬日記

 

 7月12日 G1 宝塚記念[阪神 2200m]

 宝塚記念参戦を決めた陣営はここで思わぬ痛手を受ける。武豊騎手が先約があったエアグルーヴに騎乗のため、仕方なく鞍上乗り替わりとなった。武豊騎手自身もどちらか片方出走を諦めてくれたなら…と思っていたほど、贅沢な悩みがあった。というのも【騎手は騎乗依頼を待つ】というタブーを犯してまでサイレンススズカの逆騎乗依頼したとある様に基本は陣営から騎手に騎乗依頼するのが通常。しかも舞台はG1。当然実力のない騎手は、相当な理由がない限り騎乗依頼は来ない。なので私は、この当時の武騎手はお手馬2頭どちらか選ばなきゃいけないという状況を察するに贅沢な悩みと表現した。ただ逆を言えば、エアグルーヴの引退まで予約が入っていた武豊騎手は、誰もが認めるトップ騎手というのも分かるかと思う。

 武騎手が駄目なら秋に乗っていた河内騎手はどうか。残念ながら河内騎手もメジロブライトを先約しており、そのブライトも参戦表明をしているため、依頼は掛けられない。

 では最初に乗った上村騎手はというと…声は掛からなかった。当時は力量不足だという声があるのもひとつ。しかし大方は、クラシック期での出来事が原因かと。1年目のサイレンススズカに対して、ゆっくりと、力を発揮しやすい時に出したかった鞍上と、周囲が認めるほどの実力は早めに、悲願のクラシックで成果を出したかった調教師との考え方が違かった故に表に出てしまった対立。声を掛けるという考えはハナからも無かっただろう。

 となるとテン乗りで騎手を探さなければならない。そこで声がかかったのが南井克巳騎手だ。南井騎手は同馬主・厩舎のゴーイングスズカに騎乗予定だったが、レースぶり3日前に騎乗が決まった。また、ゴーイングスズカには代わりに芹沢純一騎手が騎乗した。

 当時の様子について込山助手は南井騎手に「どう乗ったらええんや?」と言われるほど緊張していたと言う。それもそのはず。1998年に入ってからは負け無しの4連勝、しかも重賞は3連勝、更には前走・前前走とレコード勝ちしている訳だ。前走の金鯱賞に関しては、菊花賞マチカネフクキタルに騎乗中であの圧勝劇を目の前で見せられたら…緊張するなと言われない方がおかしいと思われる。たかが代打、されど代打。4年前の1994年のナリタブライアンで三冠達成した騎手といえど舞台は夏のグランプリ・宝塚記念にて乗り替わり。しかも目下連勝中のサイレンススズカに乗る。おそらく我々以上に、当時の南井騎手には相当プレッシャーはかかっていたであろう。

 南井騎手は橋田調教師と作戦を話し合った。本年は中山記念を除き左回りの東京・中京の2000m以下で坂があまりないコースであった。しかし舞台は阪神の右回りコース、2200mで最後の直線で急坂があるというもの。阪神自体も神戸新聞杯以来で当時の対戦相手との状況も違うので参考にならず。更には中山記念で露呈された右回りの苦手対策と、ダービー以来となる2000mより長い1F(200m)延長、急坂という懸念材料を鑑み、南井騎手は今までの武騎手の大きく逃げるというよりは少しペースは落としつつ、後続を少し引き付けて脚を溜めるという逃げ戦法を提案し、橋田調教師も承諾。逃げるというよりも上がりの方に重きを置いた結論だ。

 当時のファンも陣営と同じ考えを持っていたのか、単勝オッズはサイレンススズカが1番人気になるも2.8倍。2番人気は天皇賞・春を制してる河内騎手騎乗のメジロブライトの3.2倍、3番人気はオークス天皇賞・秋・当時のG2大阪杯を制してる武豊騎手騎乗の女傑エアグルーヴの4.7倍と続いた。上位人気3頭の騎手がサイレンススズカに騎乗していたというのも何かを感じるものがあった。

 レースはサイレンススズカは逃げるも2番手のメジロドーベルに3~4馬身離しての逃げ。第3コーナーで少し離すが後続も詰めて来る。最後の直線もサイレンススズカが先頭のままで叩き合い。最後はステイゴールドエアグルーヴに詰められるも逃げ切り勝ち。2着にステイゴールド、3着にエアグルーヴと入着した。馬にとっても騎手にとっても不利な条件の中、しっかりと実力を発揮した。これで5連勝と伸ばし、重賞も4連勝。

サイレンススズカはG1初制覇となるが…南井騎手と共に最後のG1制覇となった。

 そして陣営は当初の予定だった、秋の府中へ駒を進めることを決めた。

 

 次回 ⬇

 HNの由来 史実・サイレンススズカ編 ③スーパーG2 - グローリーサンデーの競馬日記

HN(名前)の由来 サイレンススズカを語る ①逃亡者の誕生

 グローリーサンデー

って何や?と思われますが、

コレは私の推し馬 サイレンススズカウマ娘 が元ネタとなっており、それにあやかってHNにしました。

 ⬇ここからは 実馬 サイレンススズカ について私なりにまとめました。

 大雑把かと思いますが💦ご容赦願います🙇‍♂️

 また、この題は私自身熱が入り😳複部構成としました。😅

 

 

 サイレンススズカは父サンデーサイレンス 母 ワキア の配合で稲取牧場にて1994年5月1日に誕生した。

永井啓弐氏がオーナーとなり、橋田満厩舎に入厩。

 

 1997年 (1年目)

 2月1日 4歳(現3歳)新馬戦[京都 1600m]にて上村洋行騎手鞍上でデビューし、逃げの手でスタート。結果2着のパルスピードに7馬身差をつける快勝で1勝を挙げる。当時観戦していた記者は、今年のダービー馬として目星をつける人も多く、また5着プレミアートに乗っていた武豊騎手も、皐月賞・ダービーをも狙える馬なんじゃないかと言っていたほどの強さだった。

 3月2日 G2 弥生賞 [中山 2000m]

 陣営は皐月賞を狙っており、トライアルレースである弥生賞に参戦。しかし、発走直前にゲートをくぐってしまうというハプニング。上村騎手も足を負傷し当時は岡部騎手が代役の準備をしていたが意地で騎乗することを決意。しかし大外発走やテンションが上がりすぎたことにより8着に終わる。ゲートをくぐってしまったことに関して原因は、厩務員の加茂さんを気に入っており、厩務員が居なくなって寂しくなったからと推測が立てられている。なお、この出来事により、20日の出走停止とゲート再試験という処分がJRAより下された。

 4月5日 4歳500万以下(現3歳1勝クラス) [阪神 2000m]

 仕切り直しの初戦。サイレンススズカが出走すると分かった際に続々と出走回避を表明するが現れ、12頭立てのレースとなった。結果は新馬戦と同じ、2着のロングミゲルに7馬身差をつける快勝だった。

 この後、陣営はダービーを目指しトライアルレースであるG2青葉賞を出走予定したが、左前脚球節炎を発症し、回避を選択。

 5月10日 OP プリンシパルステークス [東京 2200m]

 同じくダービートライアルレース。橋田調教師が上村騎手に抑える競馬を指示。レースも2番手追走し、残り400mで先頭に出る。最後はランニングゲイルマチカネフクキタルの叩き合いとなるが、マチカネフクキタルにクビ差を制し、ダービー出走権を獲得。そのままダービーへ出走。

 6月1日 G1 東京優駿{日本ダービー}[東京 2400m]

 このレースからサイレンススズカに興奮しない様に緑のメンコがつけられた。また橋田調教師は上村騎手に前走同様、抑える競馬を指示。スタート直後は、皐月賞サニーブライアンフジヤマケンザンに次ぐ3番手追走で展開。しかし第3コーナーから仕掛けようとするも展開が向かず、9着に敗れる。

また、今回も逃げ勝ったサニーブライアン皐月賞と2冠達成した。

サニーブライアンだ、サニーブライアンだ!!これはもうフロックでもなんでもない!二冠達成~!!これはもうフロックでもなんでもない、サニーブライアン堂々と2冠達成です!! 」 というフジテレビの三宅正治アナの実況とともに有名となったこの大舞台。かつて新馬戦で記者や武豊騎手に皐月・ダービーはこの馬が獲るだろうと言われたサイレンススズカと明暗が分かれた時でもあった。

 

 9月15日 G2 神戸新聞杯[阪神 2000m(現2400m)]

 ダービーの惨敗からの仕切り直しの緒戦。この時陣営は菊花賞ではなく、天皇賞・秋を見据えた。

 レースはハナを切り、1000mでは後続と3馬身離し、最終直線400mでは4馬身を離すほど快走であった。しかし、鞍上の上村騎手はターフビジョンを見て、これなら大丈夫だろうと慢心したところ、後の菊花賞マチカネフクキタルに差されて2着という結果に。上村騎手自身としては、ダービーのこともあるし楽に勝たせたかったと後に語っていた。これにより、サイレンススズカと上村騎手のコンビは解消となり、最後の騎乗となった。

 次に河内洋騎手が主戦騎手となるが、調教でも上手く乗ることは難しかったと漏らすほど。

10月26日 G1 天皇賞・秋[東京 2000m]

11月16日 G1 マイルチャンピオンシップ[京都 1600m]にて陣営の指示通りの忠実な騎乗をするが、6着・15着と結果を出すことが出来なかった。

 

 12月14日 G2 香港国際カップ[沙田 1800m](現 G1 香港カップ 2000m)

 河内騎手はマサラッキに騎乗のため、乗り替わりとなる。ここで同じ沙田で行われる G2 香港国際ボウル1400m(現 G1 香港マイル 1600m)にてシンコウキングに騎乗する武豊騎手が【騎手は騎乗依頼を待つ】というタブーを破り、橋田調教師に直接逆騎乗依頼をし、陣営も承諾。結果は5着に敗れるも、武騎手は「抑えるよりも、馬の好きなように走らせた方が良い」と感触を得た。

ここまでは、抑えて番手を付ける競馬をしてきたサイレンススズカと陣営。

ここからは逆に好きな様に走らせるという方針に変えたサイレンススズカと武騎手のコンビによる快進撃が始まった。

 1998年(2年目)

 2月14日 OP バレンタインステークス[東京 1800m(現ダート 1400m)]

始動戦となるが危なげなく快勝でスタート。

 3月15日 G2 中山記念[中山 1800m]

勝利はしたものの、ここで直線でモタれたり手前を替えるのが遅かったため、右回りは得意ではないと結論付けた。

 4月18日 G3 小倉大賞典[1800m]

 通常は小倉大賞典は、小倉競馬場(右回り)にて行われるが、この年は改修工事のため、中京競馬場(左回り)にて開催された。また斤量もトップハンデとなる57.5キロが課せられたが、当時のコースレコードを1コンマ更新する1.46.5で快勝。

 5月30日 G2 金鯱賞[中京 2000m]

 中京競馬場にて重賞連走となったこのレースでサイレンススズカによる代名詞【逃げて差す】競馬が完成した。 

最後に差されたG2神戸新聞杯からG2京都新聞杯、G1菊花賞と重賞3連勝中 マチカネフクキタル

デビューから着外無し タイキエルドラド

重賞2連勝含む6連勝中 ミッドナイトベット

という強敵揃いのメンバーの中、スタートしてハナを切り、第2コーナーで2番手グループに4〜5馬身をつけての逃げ。最後の直線で更に突き放し、武騎手もビジョンを見ながら流すほどの大逃げ切り勝ち。観客は大拍手で、実況の藤田直樹アナ(ラジオたんぱ)も最後の100mで「4連勝だ4連勝。重賞は3連勝」と言ってしまうほどの強さ。終わってみれば2着に入ったミッドナイトベットに1.8秒ほどの大差をつけ、レコード記録となる1.57.8の圧勝劇。前半1000mを58秒1、後半を59秒7(3F36.3)で仕上げるというレースぶりに誰しもが驚いたことだ。このことからも武豊騎手はサイレンススズカは【理想のサラブレッド】だったとインタビューで語るほど。

 なお、重賞による大差勝ちは、この金鯱賞(1998年5月)を最後に現時点(2023年9月)まで居ない。そういった背景もあり、サイレンススズカの伝説のレースと讃える声がある。

 陣営としては、ここから当初の予定では、秋の天皇賞に向けて夏は休養に入るつもりだったが、宝塚記念の投票結果(6位)とサイレンススズカの現在の状態が疲れがなく、馬体が充実しているという状態を加味し、考えを改めて夏のグランプリ参戦が決定した。

 

 長くなりましたが、1部はここまでとさせていただきます🙇‍♂️ まだまだ続くと思いますが😅最後まで見て頂けたら幸いです🥰

 次回↓

 HNの由来 サイレンススズカを語る ②宝塚記念 - グローリーサンデーの競馬日記