グローリーサンデーの競馬日記

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HNの由来 サイレンススズカを語る ②宝塚記念

 今回は宝塚記念のみ語りまする

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 HN(名前)の意味 実馬編 ①クラシック〜金鯱賞 - グローリーサンデーの競馬日記

 

 7月12日 G1 宝塚記念[阪神 2200m]

 宝塚記念参戦を決めた陣営はここで思わぬ痛手を受ける。武豊騎手が先約があったエアグルーヴに騎乗のため、仕方なく鞍上乗り替わりとなった。武豊騎手自身もどちらか片方出走を諦めてくれたなら…と思っていたほど、贅沢な悩みがあった。というのも【騎手は騎乗依頼を待つ】というタブーを犯してまでサイレンススズカの逆騎乗依頼したとある様に基本は陣営から騎手に騎乗依頼するのが通常。しかも舞台はG1。当然実力のない騎手は、相当な理由がない限り騎乗依頼は来ない。なので私は、この当時の武騎手はお手馬2頭どちらか選ばなきゃいけないという状況を察するに贅沢な悩みと表現した。ただ逆を言えば、エアグルーヴの引退まで予約が入っていた武豊騎手は、誰もが認めるトップ騎手というのも分かるかと思う。

 武騎手が駄目なら秋に乗っていた河内騎手はどうか。残念ながら河内騎手もメジロブライトを先約しており、そのブライトも参戦表明をしているため、依頼は掛けられない。

 では最初に乗った上村騎手はというと…声は掛からなかった。当時は力量不足だという声があるのもひとつ。しかし大方は、クラシック期での出来事が原因かと。1年目のサイレンススズカに対して、ゆっくりと、力を発揮しやすい時に出したかった鞍上と、周囲が認めるほどの実力は早めに、悲願のクラシックで成果を出したかった調教師との考え方が違かった故に表に出てしまった対立。声を掛けるという考えはハナからも無かっただろう。

 となるとテン乗りで騎手を探さなければならない。そこで声がかかったのが南井克巳騎手だ。南井騎手は同馬主・厩舎のゴーイングスズカに騎乗予定だったが、レースぶり3日前に騎乗が決まった。また、ゴーイングスズカには代わりに芹沢純一騎手が騎乗した。

 当時の様子について込山助手は南井騎手に「どう乗ったらええんや?」と言われるほど緊張していたと言う。それもそのはず。1998年に入ってからは負け無しの4連勝、しかも重賞は3連勝、更には前走・前前走とレコード勝ちしている訳だ。前走の金鯱賞に関しては、菊花賞マチカネフクキタルに騎乗中であの圧勝劇を目の前で見せられたら…緊張するなと言われない方がおかしいと思われる。たかが代打、されど代打。4年前の1994年のナリタブライアンで三冠達成した騎手といえど舞台は夏のグランプリ・宝塚記念にて乗り替わり。しかも目下連勝中のサイレンススズカに乗る。おそらく我々以上に、当時の南井騎手には相当プレッシャーはかかっていたであろう。

 南井騎手は橋田調教師と作戦を話し合った。本年は中山記念を除き左回りの東京・中京の2000m以下で坂があまりないコースであった。しかし舞台は阪神の右回りコース、2200mで最後の直線で急坂があるというもの。阪神自体も神戸新聞杯以来で当時の対戦相手との状況も違うので参考にならず。更には中山記念で露呈された右回りの苦手対策と、ダービー以来となる2000mより長い1F(200m)延長、急坂という懸念材料を鑑み、南井騎手は今までの武騎手の大きく逃げるというよりは少しペースは落としつつ、後続を少し引き付けて脚を溜めるという逃げ戦法を提案し、橋田調教師も承諾。逃げるというよりも上がりの方に重きを置いた結論だ。

 当時のファンも陣営と同じ考えを持っていたのか、単勝オッズはサイレンススズカが1番人気になるも2.8倍。2番人気は天皇賞・春を制してる河内騎手騎乗のメジロブライトの3.2倍、3番人気はオークス天皇賞・秋・当時のG2大阪杯を制してる武豊騎手騎乗の女傑エアグルーヴの4.7倍と続いた。上位人気3頭の騎手がサイレンススズカに騎乗していたというのも何かを感じるものがあった。

 レースはサイレンススズカは逃げるも2番手のメジロドーベルに3~4馬身離しての逃げ。第3コーナーで少し離すが後続も詰めて来る。最後の直線もサイレンススズカが先頭のままで叩き合い。最後はステイゴールドエアグルーヴに詰められるも逃げ切り勝ち。2着にステイゴールド、3着にエアグルーヴと入着した。馬にとっても騎手にとっても不利な条件の中、しっかりと実力を発揮した。これで5連勝と伸ばし、重賞も4連勝。

サイレンススズカはG1初制覇となるが…南井騎手と共に最後のG1制覇となった。

 そして陣営は当初の予定だった、秋の府中へ駒を進めることを決めた。

 

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